中国の留学生政策と日本

ー中国政府派遣赴日学部留学生政策を通して

慶應義塾大学 政策・メディア研究科 D3 王 雪萍

2004年2月24

 

問題の所在                                           

中国政府は中華人民共和国の建国以来、人材「培養」制度を重視してきた。「培養」とは、国家建設にとって必要な人材を試験や推薦により選抜し、政府が小学校から大学卒業までの教育課程にかかる学費を全額負担して人材を養成することである。教育修了後には、国家が需要に応じて必要な「単位」[i]に「分配」[ii]してきたのである。

中国政府は、留学生派遣を人材「培養」政策の一部として位置づけ、中国国内で「培養」できない人材を育成する一環として重視してきたのである。建国直後から1980年代まで、留学先から留学先での専攻分野にいたるまで、政府が決定していたのである。

留学生の派遣先は、五十年間以上の留学生派遣政策史のなかで変化してきた。1966年に勃発したプロレタリア文化大革命(以下、文革)直前までは、ソ連と東欧諸国が派遣先の中心であった。派遣は文革のために中断したが、72年には再開された。再開後の主な派遣先はイギリスやフランスなど西側諸国であった。日本への留学生派遣も73年から開始され、大量の派遣政策がはじまったのは79年であった。

日本への派遣でとくに注目されるのは、一つに日本以外の西側諸国への派遣とは異なり、多数の学部留学生を派遣するなど、学部留学生に重点をおいた点である。他の西側諸国へ派遣は、ほとんどが「訪問学者」(客員研究員)や「研究生」(大学院生)であった。たとえば、1980年から81年までの2年の間に、中国政府が派遣した総数384人の学部留学生のなかで、日本への派遣が199人で、全体の51.8%にのぼった[1]。もう一つの特徴は、学部留学生派遣政策が83年には原則的に中止する急激な政策変更がおこなわれたにもかかわらず、日本にたいする派遣政策は派遣留学生数を段階的に減らすなど、緩やかな変更であった点である。たとえば、当初中国政府はドイツにたいして日本と同様に毎年100人前後を派遣していたが、派遣実施の4年目の83年に派遣を完全に中止した。しかし日本への派遣は、人数こそ減らされたものの、少なくとも84年まで延長実施されたのである。日本への学部留学生派遣は5年間で終了し、1980年〜1984年の間に実施された派遣数は合計379人にのぼった。

 こうした日本に向けた学部留学生派遣政策について、中国側の評価は必ずしも肯定的ではなかった。理由の一つは、派遣後に学士や修士あるいは博士号を取得した後に帰国した学生が派遣した総数の半分にも及ばなかったことである。一部には明確に「失敗であった」という声もあがった。しかし、この政策は本当に失敗したといえるのだろうか。留学政策の評価は単なる帰国率で判断できるのだろうか。本研究は、派遣して20年間を経て、留学生らにたいして実施した実態調査の成果を踏まえて、日本に送られた学部留学生派遣政策を評価することを目的とする。

 なお、本研究の意義は対日学部留学生派遣政策の評価をすることだけにあるわけではない。1972年の国交正常化後、日中関係は経済摩擦、歴史問題や台湾問題など様々な問題を抱えながらも、相対的には発展してきたといってよい。しかし、国民レベルの相互不信が深まり、とくに90年代以降にそれが顕著になったことも確かである。2003年のチチハルの毒ガス事件、珠海の集団買収事件、西安の西北大学の日本人留学生の寸劇に対する大規模なデモなどの事件がまさに相互認識の悪化を代表している[2]。相互不信感の解消あるいは縮小には、相互理解の促進が重要である。相互理解への一つの前提が、両国間の人的交流の増進である。
 人的交流には政府間と民間とに大別される。政府間交流はもちろん重要であるが、両国政府も重視してきたように民間交流、とくに留学生の交流が重要である。留学生の派遣と受入れが活発化したきっかけは、19788月に締結された平和友好条約と7912月に調印された「文化交流促進にかんする政府間協定」であった。79年には、中国政府による日本派遣の留学生数は前年の1人から151人に急増した。とくに80年代以後、中国政府の出国留学制度の改革と日本の10万人留学生計画の実施によって、日本への中国人留学生が急増した。2003年5月1日時点で、日本に在籍している109508人の外国人留学生のうち、中国国籍が7814人で、70%近くを占めているのである[3]

とくに、近年急増している中国人留学生は高校卒業してすぐ来日する学部からの留学が多く、本研究の研究対象と近い年齢層である。本研究の研究対象は日本の留学生活を体験して、20年間の間に変化されている対中・対日認識を研究することによって、日中関係における相互認識の問題点を解決する糸口を探ることができるだろう。本研究はこうした日中関係を視野に入れながら、中国の対日学部留学生派遣政策の研究を進めたい。

 

 本稿は中国政府の派遣留学生政策を研究する上で、1980年に日本に派遣した97名の第一期学部留学生に対して追跡調査を行い、中国政府は当初決定した彼らの留学先での専攻を分析し、政府の派遣意図を確認した。

 本稿では、筆者は一年の調査を経て、第一期の97名の留学生の中に67名の現住所及び勤務先などの情報を把握することができた。その中の35名の学生と面会し、更に28名の学生対してインタビュー調査を実施した。本稿はこれらの調査の結果について分析し、政府派遣の目的に対して達成の状況を確認した。また、帰国しない或いは帰国してもう一度海外に出た留学生の帰国できない原因及びもう一度出国した原因を探った。

 

 

論文内容

第一章 中国の派遣留学生政策

国費留学生の定義:中央政府の財政から資金を出し、中央政府によって選抜され、派遣された留学生である[4]

1.1951年〜1966年 ソ連を中心とした東欧諸国への留学生大量派遣

@派遣留学生の人数が多い 

A学部生から訪問学者まで派遣 

B専攻は工学を中心に

C国内教育の補充としての位置づけ、派遣専攻は国家建設の必要に応じて設定された

D選抜は単位推薦と国家統一試験

2.1978年から1980年代初期の西側諸国への留学生大量派遣

 @派遣留学生の人数が多い

 A学部生から訪問学者まで派遣

 B専攻は工学を中心に

 C国内教育の補充として位置づけ、派遣専攻は国家建設の必要に応じて設定された

 D選抜は中央統一選抜を中心に

 →1978年の留学生大量派遣は基本的に文革前の延長である。

3.ケ小平の留学生派遣に対する思い

 科学技術習得

@「以前外国の先進的なものを吸収しなかった。・・・・・・自動化技術は能力労働は主であり、国家は世界先進レベルに追い越すのに、科学研究は先行官である」1975512

 A「我が国は世界先進レベルに追いつくために、科学と教育から着手しなければいけない・・・・・海外へ留学生を派遣することも具体的な措置の一つである」197788

 B「留学生派遣数増加、及び自然科学を主とすることに賛成する。十人とか八人を派遣するのではなく、幾千幾万人を派遣しよう。教育部は検討してほしい。いくらお金を使っても無駄にはならない。これは五年以内に成果が現れ、科学教育水準を高める重要な方法の一つである」1978623

国際交流

 @「我々は一方では我が国の大学のレベルを向上させなければいけなく、もう一方では海外へ学生を派遣して勉強させる。こうすれば、比較ができ、我が国の大学はどのレベルにあることが分かるだろう。留学生の管理制度についても変えなければいけない。余りにもかたく管理しなくてもいい。留学生は学校に住んでも良いし、外国人の友人の家で泊まっても良い。夏休みは留学生に帰らせ、国内の状況を了解してもらっても良い。・・・・・・留学生が社会と接触するのを警戒してはいけない、そうでないと、外国語のマスターに良くないし、社会を理解するのにも不利である。現地の人と一緒になれば、本当のものを勉強できる」1978623

 A「少しでも問題が生じることを心配してはならない。中国の留学生の大多数は良い学生である。個別に問題があってもたいしたことがない。一千人の中に百人が帰らなくても、只の十分の一であり、まだ九百人を残っているだろう」1977623

 

第二章 学部留学生の派遣と第一期派遣の目的

1.学部留学生の派遣

 @開始:「外国語の基礎の良い高校卒業生から外国へ大学に進学できる学生を選んで派遣する。今年三四千人で、来年は一万人前後である。これは発展のスピードは加速する方法である」1978年6月23日

 A選抜:1978年9月の全国大学入学統一試験の成績を根拠に

 B派遣先:日本、ドイツ、フランス、イギリス、ベルギーなど

2.日本、ドイツへ学部留学生を派遣する目的(表1に参照)

 専攻:日本は52%が工学専攻、電気工学・造船工学・自動車工学・機械工学・海洋科学物理

    ドイツは61%が工学専攻、情報工学・機械工学・化学工学・医学・物理・生物

 →派遣は派遣先の国の状況と自国の必要に合わせて専攻を決定した。学生の意思より国家の意思を優先とした派遣である。

 

第三章 留学生の現状と帰国意識(調査対象28人)

1.現状(図1、図2、表2、表3))

2.学習成果

 教育部奨学金による学位取得状況:学士7人、修士8人、博士12人

 教育部奨学金終わってからの学位取得状況:学位1人、修士、6人、博士21人

教育部奨学金を受領した期間中に国に決められた専攻の勉強をした。

3.帰国初期の仕事(28人中21人帰国したことがあり)

 国家レベルの研究機関:8人(百人計画、中科院研究所所長など)

 地方の大学:2人

 中央政府部門:6人(WTO加盟に貢献)

 会社:4人

4.仕事と日本留学との関係:5/6仕事上関係があり、1/5関係がない

5.卒業後の帰国状況(表4)

 帰国した経験がある学生:76.7%

 罰金を払った未帰国者:13.3%

 罰金を払わなかった未帰国者:10%

 →帰国率は低くないが、再び海外に出るケースが多い。派遣と仕事の分配の関係に問題がある。

6.帰国原因:

 国費留学生であり、国に貢献すべきは一番多かった。

7.再び出国の原因:

 仕事と専攻は関係がない、研究環境が悪い、政府の対応が悪いなど

8.帰国しなかった原因(17人):

 帰国意思があり:5人

 帰国意思がない:11人

 確認できなかった:1人

 帰国しなかった理由:現在の仕事は順調・中国国内人脈がいない・教育家庭状況

 

結論

中国政府の日本へ学部留学生派遣の目的:自動車技術・造船工学などの工学を中心とした先進技術取得である。また派遣先の国民と交流し、社会状況を精通する知日派を育てるのも目的の一つである。

勉強の成果、帰国率から見れば、派遣した学生はとても優秀で、決められた勉強を完成するほかに、自力でも勉強し続け、勉強の成果を大きく上げた。帰国率は他の種類の留学生の帰国率より高いことが分かった。仕事は両国との関係から見ても留学という行為は単なる技術取得ではなく、両国を精通する人材を育て、両国の交流に貢献したに違いない。

学部留学生派遣政策の問題として帰国後の再出国の問題が残されている。しかし、海外にいても国に貢献しようという意欲があることが確認でき、帰国できない原因として子供の教育問題や仕事の条件などの具体的問題を挙げられた。より多くの留学生を帰国してもらうために、これらの具体的な問題を対処できる政策作りが必要である

图1 第1期本科留学生的现在居住地 图2 第1期本科留学生职业分布




     

 



[1] 瀋殿成編『中国人留学日本百年史18961996』(遼寧教育出版社、1997年)813頁。

[2] 小島朋之「『中日接近』を阻む反日感情」『東亜』200312月、4953頁。

[3] http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00000128-kyodo-soci

[4] 教育部国际合作与交流司 张宁. 中国留学研究问题及思考.全国出国留学工作研究会编《全国出国留学工作研究会成立十周年纪念文集》(北京大学出版社,2002年)101页。